KANSAI Close-up

Historic Kansai:年の瀬によせて―田中準造

ゲイル・ラッセルという名前を、年の瀬になぜか思い出す。というより、思いだされるのは「ラッセル」「千の眼」「千の風」という三つの言葉である。落語の「三題噺」みたいに、かかわりのないものをこじつける話で恐縮だが。
 ハリウッド女優のゲイル・ラッセルさんをスクリーンで見たのは、私が中学生のころである。ラッセルという女優さんでは、演技派のロザリンド・ラッセルや、セクシーなジェーン・ラッセルが有名だが、私にはゲイルさんの記憶のほうが強い。代表作『夜は千の眼を持つ』(1947)の大きな眼、豊かな唇。強烈な印象であった。
 一方、「千の風」とは、今年の大晦日の人気番組『紅白歌合戦』でも歌われるであろうヒット歌謡『千の風になって』である。
 「千の」という表現は、「無限に」とか「無数に」とかを表す言葉であって、「千の眼」と「千の風に」の間に意味の上でのかかわりはない。
 それなのに折り重なって私の脳裡に浮かぶのは、なぜか。
 年末年始には浮世のよしなしごとが幾千幾万となく押し寄せる。「神さま仏さま助けてください」と祈りたい。祈ればなんとかしてくださる。そういう思いになりたくて、神社や寺に身を寄せたくなる。どの社寺でも年末年始には、それにふさわしい行事がとりおこなわれる。人々はそれにあわせて、お参りする。
 関西には、日本の宗教活動の起源になった寺社が多い。もし年末年始に関西に滞在する機会を得た人は、ホテルの人でも、観光案内所の人でもいい、もちろん友人知人でもいい、
「あなたは年末年始にどこへお参りにいきますか」
と訪ねてみることだ。そして、同じところへ行ってみる。
 日本には千の神々、千の仏陀がいらっしゃる。あるいは、この自然のそこかしこに神々や仏陀が存在していて人の運命を見守っている。そういう存在に、人々は身をゆだねて生きているのだ、ということが実感としてつかめるかもしれない。
 ちなみに、映画『夜は千の眼をもつ』は、Francis William Bourdillonという人の詩「THE NIGHT HAS A THOUSAND EYES」がもとになっている。
 ラッセルさんは、作品に恵まれないまま、1961年、亡くなった。この世に別れるとき、「千の眼」に見送られていた、いや、いまも見守られている、と信じたい。