KANSAI Close-up

Historic Kansai:年の始めには国の肇めを訪ねたい

日本の歴史遺産にはたとえば万里の長城のような壮大さはあまりない。小ぶりなものが多い。しかし、これほどの滋味は国際的にも少ないのではないかと、思われるものがある。日本人の間で、日本の歴史の遺跡めぐりが盛んなのも、この味わいの深さに由来する。
 たとえば、奈良の明日香村にある「石舞台古墳」。古代の墓所であり、周辺に古墳群や石の建造物が散在している、とだけ知ると、エジプトの巨大なピラミッド群とか、韓国慶州の優美な大陵苑に類する景観が想像される。だが現実は違う。丘の斜面に墳墓を形づくった石が露出していて、奇観ではあるが、素朴な石組みがあるだけである。
 石組みは東西南北それぞれ50メートル余りの方形の丘の中央の、高さ2〜3メートルの高さに盛り上げられた頂きにある。花崗岩を積み上げて棺の形をした石室は、広さ縦8メートル、横3.5メートル、高さ5メートルほど。花崗岩の数は30個余り、最大のものでも77トンほどだといわれる。
 さて、これを見て、どう思索をめぐらせるか、が日本の歴史遺産を鑑賞するポイントになりそうである。多くの日本人はこの石組みの前にしばしたたずみ、やがて周囲をみまわすであろう。なだらかな丘は田園地帯のひろがる盆地一帯を見渡せる。さらに人々の意識の視線は、山の向こうの奈良や京都の町並みへ、はるか東京の空にまで及ぶかもしれない。
 なぜか、ということだが…。この明日香には古代の朝廷があった。6、7世紀の飛鳥時代である。墳墓の主は蘇我馬子の墓ではないかとされている。馬子は政界に権勢を振るった蘇我一族の一人で、対立した政治家や天皇まで殺害したといわれる歴史の悪役である。その日本史の始まりにゆかりのある場に居る、という思いがまず来訪者の胸をつく。
 さらに天皇を中心とする大和朝廷はこの飛鳥の里から山をくだり野をこえて奈良や京都へ東京へと移り、発展し、現代に至るまで日本の中心としての存在を維持しつづけているという茫漠とした思いが去来するのである。
 かつての都・飛鳥には山郷と田園が残るだけだが、その静かなたたずまいにしても、これが日本国の肇めの場であり、国のまほろば…最も良きところ、として崇敬を集めているところなのだ、と思えば、来訪者の胸はさらに熱くなるのである。
 そこに思い至ると、単なる石組みと見えたものが一変する。学生時代に日本史専攻の友人と近くの篤志家の家に二泊三日滞在した。夜明けと日没時にここに座り込んで石組みを見守った。暁の狭霧と夕暮れの靄がなにか語りかけてくるようであった。世界のさまざまな史跡を見たあとでも、もういちど訪ねたい、せめて一年の始まりには、と思わせるものが石舞台にはある。 (田中準造)