KANSAI Close-up

[Historic Kansai] 琴欧州の人気はどこから生まれたのか

まもなく年が明ける。
1月8日から始まる大相撲初場所に胸を躍らせる相撲ファンも多いことだろう。ブルガリア出身の琴欧州が、初のヨーロッパ人大関として登場するからだ。好成績を残せば最高位「横綱」への道も開かれてくる。 最近では琴欧州の活躍で、海外にも相撲ファンが多いことがかなり知られてきた。そもそも日本の伝統的な格闘技である大相撲は、古くから国際的に知られ、外国人の観戦も多かった。
喜劇王チャップリンは、1934年5月5日、東京・両国国技館(現在の国技館とは異なるが)で見た。この日、当時の首相犬養毅が青年将校に襲われた。「五・一五事件」の日である。首相は重症を負い後に死亡した。後日の調べで、チャップリンも襲撃の対象だったといわれ、「名優は大相撲を観ていたおかげで助かった」と話題になった。
それはともかく、チャップリンは力士の礼儀正さに感心したそうだ。土俵に上ると自ら全身を対戦相手の前に広げ、規則に反するものは持っていないことを示す。試合のあとも勝って驕らず、負けて動揺せず。頭を下げあって終わる。相撲独特のマナーである。
一般に日本人は感情の表現を抑えることを良しとするが、、相撲でもその傾向は強い。史上、最高の名横綱といわれた双葉山は、全盛期に連勝記録が破られファンが騒然とするなかで沈黙を守り、やがて、自分は木鶏(鶏の木像)のように平静でありたいが、なかなかそうは成れない、と知人に書き送った。
実は琴欧州の人気の源は、強いとかハンサムだとかいう以上に、その穏やかな言動が日本人の琴線に触れたからだとも言える。力士は強さだけでなく人格も評価される。
その相撲の起源は関西にある。奈良時代(710〜784)に成立した古代の歴史書『日本書紀』)に野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹴速(たいまのけはや)が奈良の大和朝廷の帝の前で相撲を取り、宿禰が勝ったと記述されている。宿禰は温和で、帝に数々の善政を進言し、その一族もおおいに繁栄した。
野見宿禰は、知と力の象徴とされ、各地に神社が建てられた。宿禰と蹴速の試合の場は、現在の奈良県桜井市あたりと伝えられ、相撲神社とよばれる小さな社がある。宿禰が亡くなった兵庫県龍野市には宿禰塚や野見宿禰神社がある。また、敗者の祀る當麻蹴速神社も奈良県葛城市にある。どれも相撲の起源にふさわしい素朴なたたずまいだ。ほかにも両国国技館のある東京都墨田区亀沢に野見宿禰神社があるなど、全国に塚や神社が多い。
どの地にあっても、相撲の祖たちは、琴欧州の活躍と、相撲の国際的な広がりを喜んでいるにちがいない。(田中準造)