KANSAI Close-up

HISTORIC KANSAI:「でかんしょ節」の街で古い日本を楽しむ

試みに、そばにいる日本人に「でかんしょ節って知ってる?」と聞いてみるといい。ほぼ100%の確率でイエスという答えが返ってくるにちがいない。でかんしょ節は、丹波篠山(兵庫県篠山市)の民謡だが、第二次大戦前から旧制高等学校の学生たちに愛唱されて全国に広まった。その、でかんしょ節の里である篠山市とその周辺は、今も江戸期の武家社会の名残りを色濃く留める町である。日本はどこへいっても同じで個性がない、と嘆く向きには、訪ねてみることをおすすめしたい。
篠山は昔、山中の寒村だったが、1604年、天下の覇権を得た徳川家康が西国の抑えとして城を築いた。以後、篠山藩は代々徳川家を支える柱の一つとして信頼され、藩主の中には、将軍家の跡継ぎの教育係りや、武家社会の紛争を治める裁判の長として信望を集め、歴史に名を留める人も出ている。篠山の町は、江戸や大坂、堺のような華やかさはないにしても、城を中心とした典型的な城下町として知られた。
日本の近代化後も、経済の発展から取り残されたことで、かえって伝統の破壊を免れ、町の魅力が保存されることになった。街中‐‐といっても狭いところだが‐‐に立ってみまわすと、あ、これがかつての城下町の雰囲気か、という感慨を覚える。
歴史的にみれば、江戸期は立憲君主制の確立する前であり、旧態依然の停滞社会であった、と否定的に語られることが多いが、一方では、日本が文化的に最も栄えた時代だと評価する人もいる。人々は、鎖国の中で200余年の平和を楽しみ、畑を耕す農民たちでさえも、人間の生きる喜びを謳う詩(俳句・川柳・狂歌など)を自ら詠んで、高い能力を競いあうなど、豊かな教養があらゆる分野に満ちていた。こういう社会が世界のどこにあったろう、と評価する声もある。
その、空気が実は、現代の篠山に残っているのだ。城の建物そのものは、残念なことに、一部を除いて取り壊されたものが多いが、城郭の形も、それを取り囲む町並みや道路もほぼそのままである。武家屋敷も長屋も保存され、町屋も残っている。すべて小規模なだけにいとおしくなるほどである。日本の多くの都市のように、古いものを破壊しようとする動きは弱い。みな古いものを大切にし、手で触りたくなるような古風な木造建築が、いま現在も、行政やビジネスの現場となっている。武士たちが培った茶の湯や能楽を楽しむ暮らしもある。にも、かかわらず、明るい活気が感じられるのは、その伝統の上に未来を築こうとする努力が街全体に溢れているからだろうか。それを味わうために、京阪神や関東から来て、ゆっくり歩いている姿も見られる。
大掛かりな観光施設はない。初めて訪問する人に覚悟してもらいたいのは、都会的な楽しみは少ない、ということだ。だからこそ、ここは自然に囲まれて静かに暮らしたかつての日本人の生活を思い出させる貴重なところなのである。強いて季節の節目を飾るものをあげるならば、正月元日の春日神社の能狂言奉納、二月三日の節分徹宵星祭、三月の篠山マラソン大会などだろうか。四月の桜祭りは、掛け値なしに見事である。来年の、日本を知るための旅のスケジュールに入れてみたら、どうだろう。(田中準造)