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[Columns]世界遺産・平城宮跡で「版築(はんちく)」体験

 世界遺産・平城宮跡(奈良市)でこの夏、貴重な体験をした。「版築」といって、古代の宮殿や寺院が土塀などを造るさい土を何層にも突き固めて築く工法である。大極殿の周囲にのべ約1キロメートルの築地塀(ついじべい)を復元するためこの工法の実験が行われていて、特別参加させてもらった。 
 工法の実験はこんな具合だ。四角に組んだ高さ1.5メートルほどの木枠の中に土が敷き詰められている。丸太の2本の腕木が付いた「たこ」と呼ぶ重い木槌を持ち上げ、力いっぱい叩きつける。木枠の隅の土は「搗(つ)き棒」と呼ぶ背丈ぐらいの長さの棒で丹念に突き固める。土の層の間には横縞ができる。これが考古学者にとっては大変なシロモノらしい。奈良文化財研究所の研究員から聞いた話だが、藤原宮(橿原市)大極殿南門跡から版築の縞模様が見つかったとき、熱狂的な阪神ファンの田辺征夫所長(当時)は「虎のしま模様そっくりや」「今年の阪神は優勝するで!」と叫んだそうだ。

 ただし、奈良時代、「たこ」という便利(?)な工具があったかどうかさえ不明である。これひとつとってもわかるように、平城宮にはどんな形の建物があったのかわからないことが多すぎる。なにしろ明治時代まで、甲子園の約30倍のだだっ広い敷地は一面田んぼで、地上には宮殿の基壇だった土饅頭(つちまんじゅう)があるだけ。復元作業は発掘によって出土した礎石や柱の跡から建物の規模を推定するしかない。絵図面や古文書もない。長屋王邸のゴミ捨て場跡などから発見された10万点を超す木簡が有名だが、木簡には「伊勢から鮑(あわび)を献上」といった荷札や朝廷の役人の勤務評定など日常的なものが記されているだけだ。

 幸いモデルになる古い寺がいくつもある。朱雀門は法隆寺中門、薬師寺東塔、東大寺転害門、唐招提寺金堂を参考にしたそうだ。まるで「古代寺院のデパートか総合商社」である。平城宮跡のシンボルである大極殿は、考古学者や建築学者が10年以上も議論をしたすえ9階建てビルの高さに匹敵する建物が完成した。しかし、この屋根の飾りが観光客の目にも奇異に映るようだ。屋根の両端の鴟尾にはさまれ、宝珠(ほうじゅ)と呼ぶ金色の飾りが輝いている。「ほんとにこんな飾りがついていたのですか?」と現地ガイドに質問する。考古学者の坪井清足さん(元奈文研所長)は「(八角屋根の)法隆寺夢殿の飾りそのままだから、納まりが悪い」という。貴族たちが酒宴を催した東院庭園は観光客の人気が高いが、楼閣は宇治平等院の鳳凰堂を参考にしたといわれている。

 「平城宮跡の歩き方」はさまざまだが、研究者たちが知恵を絞った宮殿復元のルーツをたどるのもまた興味深いのではないか。汗だくで版築の土を突き固めながら、そんなことを思った。(佐藤孝仁)

 
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版築を体験する筆者(左)
平城宮跡
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大極殿の屋根には両端の鴟尾に
はさまれ中央に見慣れない宝珠が