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[Columns]「古代食」は「和食」のルーツか

 ユネスコの世界無形文化遺産に登録された和食文化の〝主役〟は京料理だろう。「食い倒れ」大阪の食文化も捨てがたい。京都や大阪より歴史の古い奈良には和食文化のルーツはあるのか。志賀直哉から「美味いものなし」と言われた奈良だが、遺跡から発掘された木簡などの研究から古代食の研究と復元が進んでいる。期待を込めて復元された古代食を味わった。
 
 試食した献立は、楚割り(すわやり)、脯穴(ほじし)、黒米(くろまい)、唐菓子(とうがし)、蘇(そ)の5品と白酒(しろき)。まずは食前酒に白酒をちびり。 現代のにごり酒よりやや澄んでいるが、あまりコクがない。「運転はしませんね」と念を押されたが、アルコールの度数はそんなに高くないようだ。酒の肴にはサケの干物(楚割り)。シカの干し肉(脯穴)はビーフジャーキーのような歯ごたえで、じんわり味がしみ出る。黒米はもち米が材料で、名前の通り真っ黒でつやつやしている。ほおばるとモチモチした舌触り。唐菓子は餅の中に薄味のあんが入っている。「古代のチーズ」とも呼ばれる蘇はほんのり甘い。
 
 「全体に薄味。関西風の味付けやなあ。塩や砂糖が貴重品だったせいかな」などとつぶやきながら、珍しさもあってきれいに平らげた。
 
 試食会で、木簡にくわしい奈良文化財研究所の渡辺晃宏(わたなべ あきひろ)研究員が、木簡に記された食材についての説明を聞いた。世界遺産・平城宮跡の長屋王邸跡などから発掘された約12万点にものぼる木簡には、全国各地から平城京に運ばれてきた食材の名前や量、産地などが記され、「荷札木簡」と呼ばれる。例えば、魚介類は、安房や伊勢のアワビ、駿河や伊豆のカツオ、阿波、常陸、下総、長門のワカメなど。平城京は海から遠いので保存のきく干物が中心だった。
 
 奈良文化財研究所で、古い人骨や魚、獣の骨を研究している山崎健(やまざき たけし)さんの研究室を訪ねた。奈良時代の人々がよく食べた獣肉はシカやイノシシ。牛や馬は荷物の運搬などの労働力として使役され、あまり食用にはしなかった。しかし「『牛、馬、ニワトリ、犬、猿を食することはまかりならん』という禁止令がしばしば出たと『日本書紀』に書かれている。禁止令が出たということは実際によく食べられていた証拠」とか。「クマ、タヌキ、キツネ、カラスの肉まで食べたらしい。マダイの頭の骨に包丁跡があり、骨を細かく切って出汁を取るという調理方法もあったようだ」とも。牛乳はそのまま飲むか蘇に加工した。蘇のつくり方は『延喜式』に記されているが、発酵という工程の記述がないから、厳密にはチーズではないそうだ。
 
 このように、木簡からはさまざまな食材が読み取れ、古代人の食卓(ただし貴族など上流階級に限るが)はけっこうバラエティーに富んでいたことが想像できる。ただ、調理方法がわからない。調味料は醤(ひしお)がよく使われたようだ。生鮮野菜は平城京の近郊で採れ、荷札木簡には記されていないのでくわしい内容は不明とか。万葉集4500余首のなかにマツタケを詠んだ歌が一首だけある。《高松のこの峯も狭(せ)に笠立ててみち盛りたる秋の香の吉(よ)さ》(巻十2233)。「奈良の高円山にマツタケが密生し良い香りを放っている」。マツタケが珍重されたのか、あまり人気がなかったのかわからない。
 
 司馬遼太郎は「…料理という言葉をややこしく定義づけて言うとしたら、日本料理の成立というのは室町時代ですね。それ以前には、お惣菜はあったかもしれんけど料理はなかった」(講談社文庫『歴史の交差路にて』)といっている。とすると、室町時代から2倍も昔にさかのぼった1300年前の奈良時代に貴族たちの食膳を飾ったのは単なる「お惣菜」なのだろうか。「古代食は和食というより〝倭(わ)食〟」という口の悪い人もいるが、それはちと言い過ぎだろう。(佐藤孝仁)

 
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筆者が賞味した古代食
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「古代のチーズ」と呼ばれる蘇