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関西の魅力

住まい

千里ニュータウン

  第二次大戦後、日本では住宅難の解消と住環境の改善を主な目的に、日本住宅公団(現在の都市再生機構)が設立され、その第1号団地が大阪府堺市に建設された金岡団地であった。それまでの日本における住宅には、木造平屋や数軒の家の連なる長屋が多く、1戸あたりの居住面積も狭く、近代的な設備も充分といえるものではなかった。ゆとりある敷地に鉄筋4〜5階建ての中層集合住宅が並ぶ「団地」は、入居申し込みが殺到し、抽選で選ばれた入居者は「団地族」と羨望を込めて呼ばれた。

 1961年には、大阪北部の郊外の丘陵に千里ニュータウンの起工が行われた。日本初の大規模ニュータウン開発として、新住法(新住宅市街地開発法)が初めて適用されるなど、その後のニュータウン開発に大きな影響を与えた。

高層マンション

 近年では、それまでの郊外へのスプロール現象から一転して、人々の間に職住接近の住まいを求めて都心回帰の傾向が強まり、都心では民間住宅でも高層マンションの建設が盛んである。

 他方、伝統的な和風建築の日本家屋への再認識も高まり、古い家屋を修復し活用するいろいろな試みがなされている。町家(町屋)は、京都、奈良、大阪、徳島など、古くからの歴史のある都市部に集積した小規模な住宅や商店で、その様式が確立されたのは江戸時代中期の18世紀とされている。戦災による焼失や近代建築物への建て替えなどにより長らく減少傾向にあったが、近年その情緒あるたたずまいが再評価され、関西では住居や商店などに活用される動きが活発化し、さらに若い世代の商店主や芸術家によりカフェやアトリエなどに改修・転用されるケースも増えている。

 また、日本の伝統的な農家など古民家にも新しい視線が注がれ見直されている。それとともに古い伝統工芸品、たんすや水屋などの古家具や什器(じゅうき)、かまどや囲炉裏なども修復・再利用され、人々の生活において新たな役割を果たしている。

 近年、定年後の生活にゆとりを求めて都会から田舎へ移り住む人々が増え、「田舎暮らし応援県」のスローガンを掲げる和歌山県をはじめ、多くの自治体が、新しいライフスタイルの提案、過疎化の防止、地域の活性化に積極的に取り組んでいる。

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