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関西の魅力
古代(3世紀〜10世紀)
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仁徳天皇陵
■古墳時代
4世紀から6世紀は『古墳時代』と呼ばれ、関西では大小の「古墳」が当時の権力者の墓として盛んに築かれた。墳丘の長さでは世界最大規模の仁徳天皇陵(大阪府堺市、全長486m)、応神天皇陵(同羽曳野市、同415m)、履中天皇陵(同堺市、同365m)が代表的であるが、奈良にも全長 200mを超える多くの古墳がある。いずれも棺を収めた墳丘中心部が円形の前方後円墳で、古墳から発見される様々な副葬品は、関西が当時中国大陸や朝鮮半島などと密接な関係にあったことを示している。
これより前、小国分立の時代を経て、中国の史書に見る「邪馬台国」があった3世紀頃から日本では国家の統一がはじまり、中心的な存在として大和朝廷が誕生した。その国家統一に際して、中国大陸や朝鮮半島からは、製陶、養蚕、織物などの新しい技術を持った多くの人々が渡来し、その新技術が大きな力となったが、技術だけではなく仏教思想も伝来し日本独自の仏教文化が発展した。
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難波宮跡
■大和から難波宮、近江京へ
日本の国家統一が始まって以降8世紀の初めまで、政治の中心は主に大和(奈良・飛鳥地域)に置かれていた。また難波宮(なにわのみや)や近江京など、一時期大阪、滋賀にも都が置かれた。
現在大阪城の南側に残る難波宮は、日本の古代国家の基礎を築いた大化の改新(645年)という政治改革と歩調を合わせて置かれた。当時の栄華を偲ばせる、天皇が政治を行った大極殿や八角殿、中央門にあたる朱雀門などの遺構が発見され、現在は史跡として整備されている。
難波には、難波津という国際港があり、中国・朝鮮半島との交流の窓口として大きな役割を果たしていた。607年、小野妹子が遣隋使として国書を持って難波津から隋に渡航して以降9世紀の終わりまで遣隋使・遣唐使が派遣された。
大津付近の琵琶湖のほとりの近江京(667年)は、朝鮮半島において唐や新羅との戦いに敗れたため、地勢や水利を活用して湖国での防衛を考えて計画されたと推測されている。
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東大寺
■平城京
近江京はわずか5年で幕を閉じ、都は再び飛鳥(672年)に戻った。そして、奈良・畝傍(うねび)を中心とした藤原京に移り、さらに元明天皇の710年には平城京(奈良)が誕生した。
平城京は中国・唐の都長安にならって建造された本格的な都で、その北端部の平城宮跡は世界遺産として保存されている。宮跡では、奈良文化財研究所などによって発掘調査が続けられ、政務の中心だった朝堂院などが中国大陸の様式をとっていたことが明らかになっている。平城宮の南の正門である朱雀門は間口32m、奥行き17mの基壇の上に建てられていたことなどもわかり、1998年復元作業が完了し公開された。また、2010年開催の平城遷都1300年祭にあわせ、政治の中心施設であった大極殿が復元された。
平城京は聖徳太子によって広められた仏教の教えを理想とする都であった。都の中には西大寺、唐招提寺、薬師寺、大安寺が、また隣接して東大寺、興福寺、元興寺が建立され、この隣接地域は外京と呼ばれた。
その後、都は恭仁宮(くにのみや)(740年)、紫香楽宮(しがらきのみや)(742年)、難波宮(744年)に一時的に移るものの、平城京は784年、桓武天皇が長岡京(京都府長岡京市、向日市など)に都を移すまで続いた。
律令国家としての安定を誇った奈良時代は、唐の文化の影響も受け、天平文化と呼ばれる独自の文化が栄えた。唐招提寺金堂、法隆寺夢殿などは天平文化を現代に伝える建造物であり、東大寺の日光・月光菩薩などの仏像をはじめ優れた美術工芸品が今に伝えられている。
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平等院鳳凰堂
■平安京
長岡京は造営途中で廃(はい)され、794年京都に都が移され平安京(京都)が誕生した。以来、明治維新で東京に遷都されるまで1000年以上にわたり都であった。平安京は平城京と同様、条坊制により整然と区画された都で、北側の中央には天皇の住まいや政治を行う大極殿などの大内裏があり、その中央南門の朱雀門から都の南端にある羅城門までを結ぶ朱雀大路の東西に左京、右京があった。東西4.6km、南北5.3kmにわたる都の規模も平城京とほとんど同じである。
約400年間の平安時代は貴族が栄華をきわめた時代であり、藤原氏が次第に強い勢力を持ち、摂政、関白となって実際に政治を行うようになった。その頂点に立ったのが藤原道長であった。
唐の文化を日本に持ち帰った最澄、空海をはじめ多くの留学生を派遣していた遣唐使が894年に廃止されたことにより唐文化の影響力が弱まり、漢字に代わる仮名文字の発展など、藤原氏の時代を中心に日本独自の国風文化が成立した。その代表的なものは、紫式部の「源氏物語」、清少納言の「枕草子」などの女性による文学作品や平等院鳳凰堂に見られる浄土教芸術などである。


