現場リポート


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Vol.13 堺のものづくりとクラフトフェア

by 岡山拓

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堺のまち

大阪平野の南部に位置する堺は、平安時代、この地が摂津・河内・和泉の3 国の境に位置しているところから「さかい」と呼ばれるようになったが、世界三大墳墓の1 つである仁徳天皇稜古墳を含む百舌鳥古墳群(※1)が現存するなど古代から歴史の舞台である一方、ものづくりの場所でもある。

戦国時代には、対明貿易や南蛮貿易など海外との交流拠点として商人たちが自治的な都市運営を行う自治都市として繁栄し、最新の技術と文化が堺に集まり「ものの始まりはなんでも堺」とも唄われた。鉄砲の生産を一手に手掛け、刃物とあわせ、金属加工の伝統を持つ。それらの技術と伝統は、明治以降の自転車フレームの生産など現在まで連綿と受け継がれているのだ。ものをつくることは、価値をつくることと同義と言っていい。それが社会のニーズに応えるのであれば、その地域は特権的に扱われる。

 

文化は多面体の人が作る

室町時代末に日本を訪れた宣教師ガスパル・ビレラは堺を「東洋のベニスのごとし」と記した。
商人による自由自治の気風と海に開かれた貿易港としての成功をベニスになぞらえて評価した有名な言葉だ。良好な自治と経済は文化を育む絶好の土壌であり、会合衆と呼ばれた豪商たちは、商人の枠を超えた新たなパーソナリティを生み出すことになる。
桃山時代の茶人千利休、その人だ。侘び茶を大成したとされる利休だが、その一言ではくくれない多面体の人であった。

文化は利休のような多面体の人がつくるのではないかと考えると、今回お話を伺った、片桐功敦氏と辻野剛氏は当てはまる人物だ。
片桐氏は華道みささぎ流家元で、主水書房(もんどしょぼう※2)という自宅を改装したギャラリーを持ち、現代美術の先鋭的な展覧会などを企画すると同時にご自身もアーティストだ。
一方、辻野氏は、ガラス工房『fresco』の代表であるとともに、堺市の中心にある大仙公園で催されるクラフトフェア『灯しびとの集い』を2009 年に立ち上げ、企画運営している。
またこのフェアには、片桐氏も出展作家の選考委員として参画している。

 

堺クラフトフェア ~灯しびとの集い~

「灯しびと」とは、人々の暮らしの中に小さな明かりを灯すようなモノ作りをしている人たちのことを指す造語。丁寧で、丹精込められて作られたモノはそれを取り入れることで生活そのものが落ち着きと豊かさを取り戻すのではないかという考え方から生まれている。そしてそのイメージシンボルとして、民の心意気が新しい時を照らすことを願って旧堺港燈台を使っているという。

辻野氏は始めたきっかけをこう語る。
「物のはじまりは堺と言うくらいに、ものづくりが盛んな地域でしたが、今は影が薄れていて、もう一度それを取り戻せないかなと考えたことから。あと、ものづくりをしていても発表の場は関東方面が多くて、地元の人たちに見てもらっていなかった。クラフトフェアはちょっとしたブームみたいなもので全国的に結構あるんだけど、堺はものづくりの街なので、プロの力をみせてもらえるフェアにしたい。利休さんのゆかりの地ということもあり、お茶の世界は目利きという立場の人も力を持っているわけで、そういう部分にも焦点を当てて、選ぶ(目利きの力を養う)ということも大切に考えています。」実際、出店を希望する人は全国に及ぶが、フェアの運営委員とは別に各分野の専門家による選考委員がおり、厳しい審査により選ばれた人のみが出店可能となる。プロの力を見せるという意味でも通常の手作り市とは一線を画しているという。

他方、すでに主水書房で異業種とコラボした企画展を始めていた片桐氏は、「行政に頼らない街づくりへの興味がきっかけにあって、初めは人が来なくてもいいというスタンスで始めました。その代わり、来てくれたら必ず面白いものを見せます。沢山の人に来てもらうより、まず面白がってくれる人を集めてからだろうと。そうやって自分勝手にコツコツやって街を変えてゆきたいと考えていたら、「灯しびとの集い」なんていう大きなことに関われるようになった。」と言う。

フェアの方向性は、敢えて堺らしさや独自性を追求するのではなく「関わっている人たちの中から、自然とやることでフィードバックが必ずある。何か事を起こせばその場所からいろんなものが発散されていって化学反応が起こるはずで、続けてゆくことでオリジナルなものが出来てゆく。周りの反応を感受性豊かに拾い上げて育む、長い時間をかけないとダメなんですよね。振り返ったときにこんな方向へ行っているよね。やってきて良かったね。って後で答えはでるんじゃないかな。」と腰を据えた考え方で進んできた。
アートとクラフトの違いについて問うと、「クラフトフェアはアートではくくれないものですね。日常に使うものですし。ただ、アートも買わなければ所有できないし、箱に入れて所有しているだけでは絵を飾る楽しみもない。例えばお料理好きな人が器を探しにクラフトフェアにゆく。美しいものを買って手元に置くことの最小単位なのかも知れない。」と辻野氏。

「なぜ今クラフトかというと、大量生産・単純消費の反省をしなければ行けない。それに気づいている人はいっぱいいて、いいものを長く使ってゆこうと考えている。そういう人たちが求めるものを提案してゆきたい。そうしたものに囲まれて暮らすライフスタイルが、総合芸術のかたちで顕れてくる。それは日本人が本来持っている美意識だと思うんです。人の発想を切り取ってきたものを西洋的なアートと呼ぶなら、空間の中で表す美意識や価値観が日本のクラフトにはあるのでないか。お茶の文化自体が器と切り離せないように、生活の延長線上でどこまでアートまで高めるかを一生懸命考えた人がたまたまここで生まれた利休さんだったってこと。」と片桐氏が続けた。

明治期に受容した西洋近代の考え方に従って、日本のものづくりは工業や工芸、美術など、ジャンルとして分断されてしまった。しかし、日常空間では、それ以前の横断的なものづくりが現在でも感覚的に好まれている。感覚というと曖昧だが、センスと言い換えると広がりがでてくる。そうしたセンスとの出会いをグッと近づけたのが『灯しびとの集い』だ。「建物の中に赴いてゆくのではなく、散歩がてら訪れていただいて、フッとのぞいてもらうような、ラフな感じで垣間見てもらう。新しい発見があれば、それを切り口にクラフトや美術に世界に興味を持ってもらいたいなと大仙公園でやっています。」と語る片桐氏。「ちょっとだけ美しいものを身近に置いて、そこから徐々に自分の周辺を整えてゆく」という、ものづくりを中心に据えた文化的センスの醸成への取り組みが、時間をかけて堺で行われていることは興味深く感じる。

 

今回お話をうかがった

「片桐功敦(かたぎり・あつのぶ)」さんとは?

花道みささぎ流家元

堺市生まれ。米国留学後の1994 年帰国し、1997 年、24 歳という異例の若さで家元を襲名。2001 年、弘川寺(ひろかわでら)で初個展。2005 年、教室でのいけばな指導の傍ら、独自の企画展を展開する主水書房を設立。2007 年BIWAKO ビエンナーレ出品。 2008 年初の桜のいけばな作品集『見送り/言葉』を刊行。異分野の作家とのコラボも多数実施。

「辻野剛(つじの・たけし)」さんとは?

ガラス作家・fresco 代表・灯しびとの集い実行委員会会長

大阪市出身 大阪デザイナー専門学校卒業後、アメリカへ渡り、ピルチャックなどの学校や工房で吹きガラスを学び、2001 年 和泉市にガラス工房「fresco」を創立。2009年より灯しびとの集い実行委員会会長として、「堺クラフトフェア」灯しびとの集いを立ち上げる。

 


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