現場リポート


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Vol.12 地域の可能性をひらく〜まいづるRBの試み〜

by 豊平豪

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地域の可能性

「地域やまちを元気に」。そんなフレーズを地域振興の文脈で見かけるようになってからしばらく経つ。しかし改めて考えみると「地域やまちを元気に」とはどう いうことなのだろうか。
単純に地域経済の活性化が求められているなら話として分かりやすい。でも「元気に」という言葉には、それ以外の「何か」が含まれているようにも思える。近年になって、地域振興・まちおこしの手段として、アートプロジェクトやイベントの有用性が急速に認められてきた。そのこと自体、その「何か」を含んだ新たな地域振興の形を人々が求めている証しとはいえないだろうか。

2009年度から始まった舞鶴市とNPO法人赤煉瓦倶楽部舞鶴が協働で行うアートプロジェクト「まいづるRB(アール・ビー)」もそういった新たな地域振興のひとつだ。
その試みを端的にいうならば「地域の可能性の掘り起こし」にある。アートプロジェクトを通し、あたりまえ過ぎて見逃している事柄を「今までとは違った」見方で異化してみる。すると、自分たちが考える以上に、地域が複雑多様で、溢れんばかりの可能性に満ちていることに気づき、地域の人々が自分たちの新たな物語を紡ぎ、発信できるようになる。
まいづるRBの一連の企画を通じてアーティストたちが示してきた様々な目線は、これまで舞鶴の多様で豊かな可能性を掘り起こしてきた。その中のひとつに「海からの目線」がある。

 

舞鶴の海のコト

人口9万人弱(2010年統計)の舞鶴市は、リアス式海岸の美しい若狭湾に位置し、天然の良港として発展してきた。三方を山に囲まれた舞鶴湾は、湾口も狭く外敵からの防御に適しており、また湾内は波が静かで水深も深く、多くの艦艇が停泊できることから、明治期には大陸に面した軍港として海軍の鎮守府が置かれてきた。戦後は大陸からの引き揚げの港としての役割を担い、現在では、日本海唯一の海上自衛隊の基地がある。

舞鶴市東部は、中心部の東西の通り名に日露戦争当時に活躍した戦艦名(富士、八島、敷島、朝日、初瀬、三笠)が付けられ、湾岸沿いには自衛隊の艦艇が浮かぶなど海軍から続く歴史は今でも舞鶴の日常風景に溶け込んでいる。自衛隊基地の隣にはユニバーサル造船舞鶴事業所(旧舞鶴海軍工廠)があり、自衛隊艦艇や南極観測船「しらせ」といった巨大船の建造も行われている。一方、城下町として栄えた舞鶴市西部には漁港が展開し、第八管区海上保安本部がある。また、舞鶴湾を囲む神埼地区や大浦地区には砂浜や昔ながらの漁村の風景が広がっており、市街地とはまた趣の違う海への開き方をしている。

舞鶴全体を眺めると、旧日本海軍の倉庫であった12棟の赤れんが倉庫群をはじめ、赤煉瓦を焼成していたホフマン窯跡や貯水池、砲台跡など、約130もの海軍由来の赤れんが建造物が現存している。

少し周りを見回すだけで舞鶴は「海」に関する事柄に満ちている。丸木舟の発見から伺える縄文時代からの海とのつながりや、京都大学フィールド科学教育センター(舞鶴水産実験所)が所有する世界有数の魚類標本が示す海の豊かさ。まだまだ挙げていけばきりがない。

まいづるRBは赤れんが倉庫群を拠点に、舞鶴にとっての<あたりまえ>である「海」に注目してきた。そのきっかけとなったのが、京都市在住の美術家・小山田徹氏の『浮遊博物館』だ。

 

浮遊博物館

2009年10月から同年12月まで行われたまいづるRBによる小山田徹監修『浮遊博物館〜海へつながる物たちへ〜』は一風変わった展覧会だった。100年以上を経た赤れんが7号倉庫内部の圧倒的に巨大な空間に吊られた舞鶴の海に関わる様々な物たち。波にさらされてきたライフジャケットやサンダル、発泡スチロールの固まり、ハングル語や中国語・ロシア語が書かれたペットボトル、さらには古い潜水服のヘルメットからホルマリン漬けになった魚の標本まで、約300 点余りの物体が整然と吊るされた。展示物は、小山田氏やワークショップ参加者たちがフィールドワークをしながら見つけてきたものだ。殆どの物は舞鶴の海岸で採取した漂着物だが、中には京大・舞鶴水産実験所の片隅にあった古い海の道具もある。

ホルマリン漬けの魚は、実験所の研究員の指導の下、参加者たち自身が釣った魚をワークショップで標本にしたものだ。

小山田氏は「海へつながる物たち」をテーマに展覧会を企画した理由を次のように語る。「舞鶴は、陸から来た文化より海から来た文化に深く根ざしているので、海のモノを使うと地理的特性が現れてくる。(舞鶴市西部を流れる)由良川から出たものは浜に打ち上がってくるし、韓国・中国・ロシアからの漂流物が流れ着くってこと自体が過去の文化と結びついている。(小山田徹インタビュー 2009 より)」

フィールドワークの参加者たちは、小山田氏や多彩なゲストたちが話す縄文時代からの舞鶴地域の海の歴史を自分の五感を使いながらなぞり、そして採取した物を一緒に吊り下げた。

「 (「吊る」と)背景とか土台が一回取り払われて、モノそのものが現れる感じがある。そして、同じ条件にいろんなモノをおいてみることが、モノ自体を考える良いきっかけになるような気がして。そのことが舞鶴の歴史とか現状とか未来とかを考える姿勢になにか重なるような気がしました。いろんなしがらみとか歴史の綾とかがあって、簡単にモノ自体は取り出せないんだけど、全員で「ふっ」って浮いてみたら、そのなかに面白みとか共通点とか「ああ、ここが違うんや」っ ていう点が見えやすくなるんじゃないかと思ったわけです。(同上) 」

『浮遊博物館』では、様々に用途が異なる展示物が同じ高さでグリッド状にランダムに吊られる。それによって、物にこびりついている意味が取り払われ、物そのものの「材質や質感」に目が行くようになる。表面の傷を目で追っている内に展示物ひとつひとつの海の物語が自然に浮かんでくる。視線を展示物から会場全体を移すと、赤れんが倉庫に重くのしかかっていた「戦争の遺産」という意味が取り払われて、倉庫自体の建築物としての物語、さらには舞鶴という土地自体がもつ海の物語が新たな形で浮かび上がってくる。

『浮遊博物館』以外にも、まいづるRBの企画として小山田氏は、2009年12月に第八管区海上保安本部が保有する貴重な舞鶴地域の海図を展示する展覧会『海図を愛でる』、2010年7月に市内の神埼海岸で小・中学生20人を対象にした『小山田徹式 海辺をめぐるアートキャンプ』を行い、「海からの目線」を舞鶴に提示し続けている。そして、まいづるRBがその目線の先に見出したもののひとつが、アーティスト・日比野克彦監修の『種は船in舞鶴』だ。

 

種は船in舞鶴

日比野克彦監修『種は船in舞鶴〜舞鶴発!船で伝える、海の物語〜』は2010年9月から始まった。「種は船」は、日比野克彦氏の朝顔の種で各地域の人や土地をつなぐ『明後日朝顔プロジェクト』と連動しながら、これまで金沢・新潟・横浜・鹿児島などで朝顔の種の形を模した船をつくってきた。種が土地や植物の記憶を運ぶ「乗り物」であるように、船が物流・交易の要となって物を運び、人々の思いや記憶を運ぶ。「種は船in 舞鶴」はその舞鶴版にあたる。舞鶴の海に関係した地域性や資源を発掘し、3ヵ年計画で自走する船づくりを目指すこの企画では、先ずその手始めとして、高さ4m×長さ5m×幅4mのダンボールと木材でできた実物大の船の模型「舞鶴丸」が製作された。舞鶴の人々を中心に1ヶ月がかりでつくられた巨大な船の模型は、10月の完成式以降赤れんが倉庫の裏手の広場で公開され、子供連れの親子など多くの見物客で賑わった。

「種は船」のテーマは「船を通じて人と人とをつなぐこと」だと日比野氏はいう。彼によると、人と人とがつながるのは何も会話を通じた場合だけではない。例え ば、同じ物に対して作業するとき、無言だとしても人は他人とつながっている。木材で船体の骨組みを組むとき、ダンボールの外壁をタコ糸で縫いつけるとき、外壁に着色したわら半紙を貼り付けるとき、多くの人が作業を通じてこれまでとは異なる新たな関係性を他人と築き、つながっていく。「船」はその中心で象徴として機能する。

作業に参加した男の子と話した時だ。彼はごくあたりまえのように「僕の船は完成した?」と尋ねてきた。小学生の彼は大人中心で進められた船の土台づくりに携わることができず、外壁の簡単な貼り付け作業に参加したに過ぎなかった。それでも彼は「僕の船」と語った。

そのことを考えると、「種は船」における舞鶴丸の完成式が、舞鶴という村の祭りのクライマックスのように思えてくる。船の完成と出航を祝う祭りだ。そして祭りと同様に「種は船」においても準備期間こそがむしろ本質的な部分といえる。船をつくる過程で、自分たちのつながりを再構築し、海や土地に改めて感謝をささげる。その意味で、作業に参加した全ての人々にとって舞鶴丸は間違いなく「我々の船」だ。もちろん、「種は船」が単なる村祭りと明らかに異なっている点 もある。村祭りの場合は参加者である村人が同時に観客になるが、「種は船」の場合の参加者・観客は、村(舞鶴)の人々に留まらない。『種は船in舞鶴』には、これまで日比野氏が全国各地で行ってきた『明後日朝顔プロジェクト』や『種は船』に関わった人々も少なからず足を運び、作業に参加している。舞鶴で作った船は「彼らの船」にもなり、「種と船」をめぐる祭りは地域を越えて広がっていく。

『種は船in舞鶴』は、2011年度に2年目を向かえる。2011年度は『明後日朝顔プロジェクト』発祥の地・新潟への出航を目指し、いよいよ自走する船の製作に取 り掛かる。まいづるRBのアートディレクター・森真理子によると、舞鶴から新潟へ向かう航海の道中、様々な地域に立ち寄り、港から港、漁村から漁村へと、それぞれの土地独自の地域性を伝えていく予定だという。船で伝える舞鶴発の海の物語は今まさに出航のときを迎えようとしている。

 

地域の解釈を増やす

まいづるRBは上述してきた2つのプロジェクト以外でも、様々な形で舞鶴のあたりまえの事柄を異化し、豊かな可能性を掘り下げてきた。演出家・松田正隆氏率い るマレビトの会による赤れんが2号倉庫での演劇『都市日記 maizuru』(2009)やダンサー・砂連尾理(じゃれお・おさむ)氏による舞鶴市内の特別養護老人ホーム「グレイスヴィルまいづる」でのダンス公演『とつとつダンス』(2010)、また前述の日比野氏や建築家・宮本佳明氏(みやもと・かつひろ)といった様々な分野の専門家に舞鶴を語ってもらうレクチャーシリーズなど、その地域での試みは多岐にわたる。

そして、まいづるRBによる様々な異化の視線の提案は、舞鶴という地域の解釈が増えることを意味する。社会学者・山田創平氏が述べているように「地域の解釈を増やすことは、地域の多様性や様々な文化の共存の可能性を知る作業であり、未来においてより良い民主制や、自由で平等な社会を実現するための基礎となる営為」だ。まいづるRBの活動もこういった営為のひとつであり、一見遠回りにみえても「地域やまちを元気に」する近道なのではないだろうか。

 
 


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