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わび茶、それは日本美の由来。



茶室の入り口
 安土桃山時代(1588〜1600)千利休によって大成された日本独特の喫茶の芸能「茶の湯」には、掛け物(掛け軸)・花入(花器)・釜・水指・茶入・茶杓・茶筌など、数多くの工芸品が用いられる。そして茶会において最も重要視されるのは、亭主の茶や道具の美に対する見識をしのばせる、これら諸道具の調和、いわゆる「取り合わせ」の妙である。
 茶の湯の祖とされ、わび茶の発案者である村田珠光(15世紀後半)、わび茶の表現を深めた武野紹鴎(16世紀前半)、さらにそれを茶会や料理に活用した千利休。茶道具にはそれぞれの茶人による好みがあり、茶にまつわる工芸品はその時代の茶人の求めに応じて作られていった。京都では利休の時代に楽焼が焼かれ、利休の没後、古田織部が茶の指導者になると三重県の伊賀焼が珍重された。また江戸時代には京焼の誕生を見、奈良県の赤膚焼は江戸後期から茶陶の生産が増加していった。また京漆器も茶の湯によって発達していった。
 茶の湯において求められる工芸品とは、個を主張しすぎず、他の道具との関係性においてその美や価値を輝かせるもの。いわば没個性的なものとされる。茶道のモットーである「和敬静寂」の精神が、反映されるのである。その代表的なものは「利休好み」と呼ばれる品々で「用の美」の極致を示すものとして、 400年もの間伝承され続けている。
 茶の湯は、利休のひ孫の代になって、表千家・裏千家・武者小路千家に分かれ、点前の流儀や道具の好みなどに違いを生じつつも、それぞれが利休のわび茶の伝統を受け継いでいる。茶道具の作り手たちは江戸の中期から専業化していき、大正の初めから「千家十職」と呼ばれるようになり現在に至っている。
 茶の湯が日本文化において果たした役割は大きく、その範囲は哲学・宗教から美術・建築・料理・飲食と幅広い。いわば茶の湯の精神は日本人の人生観から生活美学にまで及んでいるのである。そして利休が求めた“用の美”のデザインも、日本の伝統工芸のさまざまな分野に多大の影響を与えているといえる。私たちが伝統工芸の中に日本的な美しさを発見するとき、それは遠からず茶の湯の美学に由来しているのである。
茶杓
茶碗

茶筌



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