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大陸がもたらした大いなるもの。



東本願寺(京都府)
 飛鳥時代(400ごろ〜710年)大陸から渡来した仏教は、その教えとともに仏像や仏画のほかさまざまな仏具をも日本にもたらした。奈良時代、天平年間(747年)に記録された法隆寺の資材帳には、香炉や鏡・錫杖・経台・袈裟・屏風…といった50種類近くの仏具が見られる。こうした多種多様な物とともにそれらを作る工人たちも日本に渡来し、仏教に関連する工芸技術の数々は次第に広まっていった。奈良時代(710〜794年)には東大寺や西大寺を中心として多くの宗教工芸が発達し、東寺や西寺などの大寺院が造営された平安時代( 794〜1185年)には、さらにその機運が高まった。寺院の建立に際しては質の高い瓦が大量に焼かれ、仏教文化の興隆とともに国家的事業として写経が奨励され、筆と墨の量産を促した。
 今日、関西の2府6県に残る諸工芸のうち、仏壇・仏具をはじめ瓦や筆・墨・数珠・ろうそく、また仏像や仏画に細い金箔で装飾する截金や、天井と襖・障子との間に設けた通風や採光のための欄間の装飾など、仏教や寺院とのかかわりによって発展してきたものは数多い。仏像や経典を収める厨子が変化して、江戸時代(1603〜1868)の元禄期以降、庶民の生活に取り入れられるようになった仏壇は、京都府のほか大阪府や滋賀県にも産地があり、地域によって細工や技法に特色がある。中でも京仏壇は、長く「都」が置かれていた関係から貴族文化や武家文化、さらに江戸時代の宗教体制の整備の中でその技術水準を高め、精巧な意匠表現を得意としていった。木地・彫刻・漆塗り・金箔押し・蒔絵など、それぞれ専門の職人の分業によって作られた完成品は、京都の工芸の総合力を表している。
 このように仏教によって渡来し発展を遂げてきた工芸品は、関西とりわけ京都において洗練が加えられ、独自の発展を遂げていった。仏教は国家から貴族、武家やがて庶民へと信仰の主体が変遷し、日本の儀礼とも結びついて日本人の暮らしに浸透していった。死に際しての儀式や正月、盂蘭盆、春と秋の彼岸における先祖供養のしきたりなどに、その例を見ることができる。日本人がこうした折々に寺院や仏の教えとかかわるとき、工芸品の数々はそのそばにあって、外来文化に発祥した日本特有の美と心を表しているのである。



梵鐘(ぼんしょう)
寺院の鐘楼などにつり、
撞木(棒)で打ち鳴らす鐘




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