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関西の伝統工芸の現状と今後の課題
大手前女子大学教授(日本工芸史):切畑 健

京都伝統産業 ふれあい館
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 昨今の「関西の伝統工芸の現状と今後の問題」を考える時、いつも次の小島直記氏の記述(『出世を急がぬ男たち』−文化大臣アンドレ・マルロオ−新潮文庫 新潮社版)を思いおこす。しかもそれは何も「関西」に限ったことではなく、日本の伝統工芸の現状と今後を考えるうえで、きわめて鋭く示唆を与えることとなると思われる。

 1959年、第五次共和国の新内閣で、マルロオは文化問題担当大臣に就任した。その在任中の数多い理想にあふれた業績では、まずパリの建物が白く洗われたこと、テアトル・デ・ナシヨン(諸国民の劇場)がつくられたこと、貧しくて能力が発揮できずにいる芸術家達のために1,500以上のスタジオができたこと、などをはじめとしてその幾つもの仕事を紹介し、最後に小島氏は次のように述べる。「官庁・学校その他公共建築物をつくる場合、彫刻家・画家・壁掛職人などを必ず顧問として依頼すること、全予算の1パーセントを彼等に支払うことも、マルロオは法制化した。これによって、工業化の波の中に古い伝統的な職人芸が亡びることを防いだのである」と。 

 日本に実に豊かな様相をしめして伝統工芸が存在したことは、近世の文献ながら『毛吹草』(松江重頼著 寛永15年−1638−序 新村出校閲 竹内若校訂 岩波書店)にうかがわれる。中でも「山城・畿内」は圧倒するばかりの数をしめし、「大和・河内・和泉・摂津・伊賀・伊勢・志摩・近江・若狭・越前・丹波・丹後・但馬・紀伊・淡路」など、いわゆる名物の類をも含めておびただしい例をあげている。それらの内、山城(京都)に注目すると、さすがになお現存するところを見出して安堵されるのであるが、それがただ表層をかいなでているに過ぎないことにたちまち気づかされる。すなわち表面とはうらはらに、その隠された部分で、実は後継者の根絶がすでに現実の問題となっているのである。

 かつて昭和20年代末から30年代にかけても、特に伝統工芸の世界で後継者について絶望的な観測が大きくとりあげられた。しかし今にして思えば、その時にはまだ明治時代の名人上手が、後継の意欲ある者にその技を伝えることが出来たのである。現状はどうか。その問いにあえて答えることもないであろう。さらに今や諸伝統工芸を生み出す為になくてはならない道具や材料の類、すなわち伝統工芸を支え続けた、全く表面にはあらわれない、深いその部分で確実に存在しなければならないそれらが、まさになくなろうとしている。しかもそれどころではなく、中には全く絶えはてたものがある。

 この構造的ともいえる伝統工芸の危機にのぞんで、かねて文化庁は「無形文化財(工芸技術)に係る保存・伝承の現状調査」によって保存・伝承の実際を把握し、その保護に尽そうとしているが、言うまでもなくそれは急を要することであり、その調査はようやく京都府が取り組みを始めたが、是非とも「支えつづけている部分」に及ばなければならない。一方、単に国や地方公共団体に多くを期待するばかりではなく、我々自身の内にも、我々にとって伝統工芸が、あるいは伝統工芸の滅びはてることが、どのような意味を持つのかを考えなければならないことに気づかねばならない。

 これに関していまひとつの場合を想起する。それは工芸ではなく伝統芸能の場合であるが、同様の営みとして、すでに「伝統と文化を考える会」(奈良市)が地道ともいえる活動で問題を提起し、その一環として「伝統芸能を支える人々」の写真展を各地(西田画廊、近鉄百貨店奈良店など)で巡回していた。伝統芸能に関心ある人々にはいうまでもなく、そうでない人にも大きな働きかけがあったものと推測される。伝統工芸の場合にも類する展示が試みられているが、この巡回展にはいっそう確かな思想が根幹に存在するといえよう。

 マルロオに立ち戻れば、全くうらやましいばかりに、国の指導に確かな理念がうかがえ、しかもそれは大きく一般の人々をも巻きこみ、根底のところから「伝統」を認識せずにはいられない現実にいたらせるという営為である。「文化大臣アンドレ・マルロオ」はその項を、「『自由世界で唯一の、真の機能を果たしている文化大臣』とは「ニューズ・ウィーク」誌の評言である。」としめくくっている。

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