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関西における伝統工芸の歴史と変遷
武庫川女子大学教授(日本文化史):森谷 尅久

信楽焼 関西には、日本における美術工芸・建築など有形・無形の国宝・重要文化財の約60パーセントが存在しているが、その理由ははっきりしている。関西に所在している諸府県のうち、奈良・大阪・滋賀・京都・兵庫の各府県に「都」=首都が存立していたことによるのである。なかには数カ月で首都を放棄しなければならなかった「都」もあるが、いずれにせよこの「都」の存在は、周辺の国々に多大な影響を残した。

 とりわけ794年(延暦13年)京都に建都された「平安京」は、明治初年(19世紀後半期)にいたるまで日本の「都」として、1000年にわたって君臨した都市である。この「都」がもたらした長年の影響は大きい。ことに今日、伝統工芸として関西の各地に生きづいている有形・無形のモノは、この「都」の存在を抜きにしては語れないのである。


 ■豊国祭礼図屏風 狩野内膳筆 慶長9年(1604年)重要文化財 豊国神社蔵

<img src="img/hst_05.gif" width=205 height=168 border=0> 六曲一双のうち左隻の一部


<img src="img/hst_02.gif" width=205 height=168 border=0> 六曲一双のうち右隻の一部

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 平安京は江戸時代を迎えるまで、日本で最大しかも唯一の大都市であった。政治・経済・文化、あらゆるものの中心であり、関西ばかりでなく、全国から憧憬のまなこで眺められていたのである。工芸の面からいえば、その京域内には最先端の技術が集積され、王朝政府の手厚い保護のもとに最良の高級品が製作されていた。工人たちは現在でいう公務員であり、その身分の保障もあって彼らは自由とはいかないまでも、もっとも優れたモノを創りだして王朝政府に提出していたのである。

 しかし、この巨大都市も一人だけでは生存するわけにはいかない。この都市を支えるヒンターランド(後背地)が必要であった。古くは畿内(うちくに)といわれた五カ国(*大和・山城・河内・摂津・和泉)がこれにあたるが、そのほか近辺に位置する丹後・丹波(京都)、近江(滋賀)、播磨・但馬(兵庫)、伊勢・伊賀(三重)、紀伊(和歌山)、若狭(福井)の諸国が、多くの原産品を「都」に移出して、これを支えていたのである。

 「都」の王朝政府がまだ強力であった時代までは、これら諸国の生産品・工芸品は、租税として納めることができた。だが、王朝政府のタガがゆるんでくる12世紀前後になると、この収納はうまくいかない。それどころか「都」の工人たちも財政を理由に解雇される状況となり、自ら自立の道を目指さなければならないほどだった。「座」(同業組合)を結んでの新しい旅立ちである。13世紀以降、中世という時代に突入したとき「都」は変貌していたが、そこに居住した職人たちは「座」のもとに結集して、新しい世界を創りはじめていた。

 「都」が単なる政治権力の中心ではなく、商工都市としての相貌をあらわにしてくると、畿内をはじめとする関西の諸国は、この大都市の市場参入を目指して、次々と新しい工芸品・特産物を持ち込みはじめた。15世紀初頭の『庭訓往来(ていきんおうらい)』などが載せる関西の諸国名産をみるとかなりの数にのぼる。大和(奈良)では材木・墨・奈良紙・火鉢・酒・晒(さらし)などがあり、河内(大阪)では鋳物・土器・酒、摂津(大阪)ではこんにゃく・銅・むしろ・菅笠(すげがさ)、和泉(大阪)は酢・織物・櫛、紀伊では鰹(かつお)・鮪(まぐろ)・材木、丹波には材木・そうめん・硯(すずり)、丹後では生糸・織物、近江では鮒・鯉・麻・陶器、伊勢には水銀・白粉(おしろい)・あわび、播磨には鯛・杉原紙(すぎはらがみ)、鋳物・鉄、越前(福井)では鮭・鳥の子紙があげられている。

 むろん、このほかにも海外からの移入品も殺到していた。九州・瀬戸内を帆走して堺・兵庫津などに着いた輸入品は、「都」を目指して陸水送された。中世後期、折から「都」では、室内芸能というべき茶・花・香が人々の心をとらえはじめていた。これによる新しい文化産業が関西各地にめざめ、さらに唐物(からもの)趣味によって、大陸からの珍器・珍物が求められたのである。加えて南蛮趣味も大きく広がりはじめた。「メンズラシ」(珍しい)という言葉を都人がよく発したと記したのは、外国人宣教師であったが、この「メンズラシ」ブームは、関西と海外とを結び付ける象徴的なものだった。



■阿国(おくに)歌舞伎図
   
  <img src="img/hst_04.gif" width=210 height=160 border=0>  紙本金地着色
 17世紀初め
 重要文化財
 京都国立博物館蔵   
 
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 近世に入っても、関西はその地理的環境、古代・中世以来の技術的蓄積によって大きく飛躍していった。なかでも兵庫にあった生野・多田の金銀鉱山の開発が関西の経済開発に先鞭をつけ、地方の産業・特産品・工芸品の発展に大きく寄与した。さらに中世後期から徐々に生産されていた木綿(もめん)が大きくジャンプして、近世の衣料生産に革命的変化をもたらした河内木棉(もめん)が登場した。その後、関西各地に棉(めん)織業の発展をみるにいたるのである。

 醸造業の発展も中世に引き続きみられた。京・大和の酒造に加えて、大消費都市「江戸」を見据えた伊丹・灘に一大生産地が形成された。さらに醤油業もめざましい。ことに紀州の湯浅に勃興した醤油業は、房総にいたって全国的展開をみせるにいたるのである。

 関西は、あきらかに近世に入って新しい流通形態の形成とともに大きく飛躍し、全国をリードしていた。この歴史的証跡(しょうせき)が、現代関西に残る伝統工芸なのである。

* 大和(奈良県)
 山城(京都府南部)
 河内(大阪府東部)
 摂津(大阪府と兵庫県が隣接する地域)
 和泉(大阪府南部)



関西の伝統工芸における相関図

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