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関西における木造建築の歴史と未来
三輪 泰司
(株)地域計画建築研究所代表

関西は日本建築の宝庫である。日本建築の特徴は木造である。近世まで、住居から寺院・神社・城郭まで主要部材はすべて木で、屋根は一般に土を焼いた瓦で葺かれていた。その様式と技術は、日本の風土を反映し、日本文化の形成と深く関わっている。日本の気候は四季の変化に富んでいるが、関西はその中でも典型的である。その上、長く首都のあった関西に、国宝や重要文化財の多くがあり、木造建築が豊富に残っているのは理由のあることである。第二次大戦で大きな被害を受けなかった奈良と京都には特に多く残っている。なぜ日本人が建築の主な資材に石や土ではなく、木を選んだのかよく判らない。
日本人の祖先は、はじめに南方から来て、遅れて北方からも来て混血を重ね、日本人へと形成されたと言われている。和歌山の太平洋沿岸には、ポリネシアとよく似た風俗が残っている。伊勢の皇大神宮は、屋根までも装飾を施さない白木である。バイカル湖付近には、それとそっくりの木造建築を見ることができる。極寒の風土では木が腐る心配がなく、塗装しなくともよい。その様式に、2世紀かそれ以前の北方系民族の住居の姿を想像することができる。さまざまな文化を取り入れ、独自の文化に仕立て上げて行くのは、日本文化の特質である。


 8世紀末に「平安京」が造られて100年後、「遣唐使」が廃止された。この時から中国から受けた文化の日本化が始まった。漢字を元に、独自のカナ文字をつくりだしたように、日本風の建築様式と建築技術が発達した。寺院の五重塔は、木造建築技術の典型である。今われわれが見ることのできる塔は、幾度も地震や台風に耐えてきたものである。斗拱という屋根を支える木組は地震や風による横からの運動エネルギーを、組み合わされた木と木が擦れあい、摩擦による熱エネルギーに変換し、破壊的な力に無理に抵抗せず和らげるように工夫されている。
 1083年に白河天皇が命じて、京都の岡崎に造った法勝寺には、八角九重塔が建てられた。高さは82メートルと記録されている。神社建築や数寄屋建築は一切の装飾を排除し、その清々しい美しさは、日本建築の特徴の一つである。木造建築は、柱と梁で構成するプロポーションと、唐破風などの柔らかい曲線の組み合わせを特徴とする。石や煉瓦の壁面へさまざまな装飾を施す“組積造”と根本的に異なる建築美がある。法隆寺は7世紀末に再建され、幾度もの修復の過程で、創建当時の資材の多くは取り替えられている。建築自身がゆっくりと再生するのである。皇大神宮の「式年遷宮」は、それと対象的である。20年ごとにそっくり同じ建築を造り替える。それには、技術伝承としての意味も見出せる。



 日本は、最近の1世紀余の間に2度、木の文化が危機に瀕する大事件を経験している。第一の危機は1868年の明治維新である。新政府は「神仏分離令」を布告した。その目的は、天皇の親政を徹底し、人心を一新することにあった。古代からの信仰である神道に、大陸から伝来した仏教が、既に7〜8世紀頃には結合調和していた。神社には仏像があり、神官とともに僧侶もいた。明治政府は、この“神仏習合”を禁止し、全国の神社に取り入れられていた全ての仏教的な要素を排除することを命じた。この施策が国民の間でエスカレートし、 “廃仏棄釈”運動に発展し、1973年頃まで続き、多くの寺院が壊された。この時期に多くの城郭も壊されて、官庁や学校あるいは軍隊の駐屯地になった。
 最近の危機は第二次世界大戦である。戦災を受けていない都市でも、疎開と称して多くの住居が延焼を防ぐためにこわされた。戦後は、アメリカの生活様式が、日本の庶民にまで広く受け入れられ、アメリカ風の建築様式が伝統的な木造の様式にとって代わった。耐火建築が推奨され、木造による建築は制限された。大きな屋根を特徴とする木造の寺院建築は、建築基準法による高さ制限により、原則として建てることができない。1895年に京都の東本願寺本堂が再建されて以後、指定文化財以外で、巨大な木造建築は建てられていない。技術や情報と法律が、文化を風土的個性から離脱させる例である。



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 確かに、木は耐火性能で難がある。日本の都市は、戦争や地震による火災で幾度も壊滅的打撃を受けている。しかしその都度、前よりも立派に造り直してきた。それは日本人のバイタリティーを象徴しているとも言える。阪神・淡路大震災で木造建築の多くが倒壊し、焼失した。しかし、被災状況の研究が進み、適切な構造的配慮をした木造建築は、地震力に十分耐えることが判ってきた。それは五重塔のように、伝統的な知恵からも学ぶことができる。日本の風土に合った建築美、都市美が見直され、スクラップ・アンド・ビルドが地球環境に脅威をもたらすことへの反省も、次第に大きくなってきている。
 日本人は、自然を呼吸する木、自らも再生する木造建築の生命力に惹かれる。京都精華大学の上田篤教授は「木造建築は日本人の心に潜む死生観にかかわる」と指摘している。木による新しいデザインと技術の研究も進んできた。日本文化のアイデンティティーは、木の建築と都市に求められると、関西の建築家達が未来の都市づくりについて研究し、提案している。1995年に高松伸・内井昭蔵らは、木で壮大な都市を造ることを提案した展覧会を催し、建築の造形・技術だけでなく、生活様式と法律のあり方に一石を投じた。



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