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関西の日本建築 美どころ 観どころ
関西で生まれた日本建築の美
―茶室と数寄屋造り―
中村 利則
(株)文化環境計画研究所


茶ごころの造形-茶室
桂離宮(京都市)
 日本は木の国である。そして日本民族の木に対してもつ愛着の深さと感受性の鋭さとは、他の民族とは比較にならないほど強いものがある。「草木みな能く物言う」といわれるように、われわれは樹木に精霊を見出し、さらには神の降臨を感じとったのであって、日本民族の自然観を形づくる根幹には樹木があった。
 その日本において、建築が木で造られたのも自らのことであった。神社や寺院といった宗教建築をはじめとして、宮殿や住宅にいたるまでそのすべてが木造で、それによって巨大な空間も造り上げてきた。ことに16世紀末、織田信長の安土城、豊臣秀吉の大阪城や聚楽第などの城郭において、その中核には虚空に高く天守がそびえ建ち、彫刻や金碧の障壁画に彩られた豪荘華麗な書院造りの殿舎が建ち並んでいた。それに対し、その城郭の一画においては、茅葺の粗末に装った茶室が好まれ、極小を追求する茶室が建てられており、こうした併存こそが桃山時代の美意識である。しかしそれらは背反するものでは決してなく、基調が通底する、表裏一体となった二重構造であったのだろう。
桂離宮松琴亭(京都市)
 千利休によって大成された茶室は、利休唯一の遺構として知られる妙喜庵待庵(京都府大山崎町)に見られるように、柿茸の軽快な屋根、丸太や面皮材といった自然のままの肌合いの木、すさ(壁土のつなぎとして混ぜる藁)を露わにした土壁などで構成され、自然の理法に従った素朴な表現をする。客畳1畳・亭主畳1畳の、合わせて2畳(約3.6平方メートル)という極小の茶室には、巨大な構造性や上等の材料、華美な装飾など、およそ建築を良く見せる要素は全て捨て去られており、ただそれだけに使われる木の形(なり)や木目の美しさが尊ばれ,厳しい審美眼をもって一つ一つの材料が選ばれていた。それはもとは簡単な小屋にすぎない丸太作りを、節度ある丸太普請にと発達させ、生地や皮付の木材の自然の趣をそのままに遺した、特色ある技法をも育んだのであろう。
 茶室を構成する木材は、杉をはじめとして赤松・桧葉(翌桧-あすなろ-)・栗や竹などと多種である。そのため“色付け”と称して、丹-に-(赤色の顔料)と煤を混ぜた顔料を木部に塗り、木目は見せながらも限りなく黒に近い彩色が施され、また土壁も煤で黒く燻ぶりが付けられる。色彩を調整し、内に秘めた多彩さを隠す逆説的な表現であるが、それが掛け軸や花・茶道具を引き立たせる効果をも生んでいた。

意匠の建築-数寄屋造り
妙喜庵茶室「待庵」(京都府大山崎町)
 土壁で囲い込まれた茶室は、それまでの夏を旨として開放的な日本の住空間の伝統には珍しく、閉鎖的な外容を示し、どこか異文化との混淆さえ感じられる。とともに、それは茶を飲むという、ごく日常的な行為に、社交的・儀礼的・宗教的・芸術的な四つの要素を付加して、茶の湯という非日常的な境界を創造していくための構成でもあったのだろう。そしてそうした茶室の手法が、住宅建築にまで影響を及ぼして、また新たな様式が形成されていた。いわゆる数寄屋造りであり、桂離宮の書院群に代表される建築である。それはそれまでの住宅様式である書院造りを基調として、構成要素の各所に茶室に使われた素材や手法を導入したもので、特に意匠性に優れ、ここにおいて日本建築がインテリアとしても大成されたといえよう。
それまでの書院造りは神社や寺院と同じように屋根に反り(凹形の曲線をえがく)を付け、また押板や床・棚・付書院といった室内構成要素から、欄間や引手・釘隠といった金具などの細部に至までおよそ定型的であった。それが数寄屋造りの屋根は起り-むくり-(凸形の曲線をえがく)を付けて軽快さを増し、室内構成要素から細部に至るまで、さまざまに意匠されて多くのバリエーションを生んだ。日本の住空間の伝統に則って開放的ではあるが、丸太や面皮材が多用され、色土壁を塗って室内の色彩を豊かにしている。

 こうした茶室や数寄屋造りの建築は、自然な素材を使うだけに、やさしく人間的な自由さを表現していたが、そこにはまた茶心に則った厳しい倫理に即して、洗練された造形性が秘められたのである。


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